おかずブログ 徒然なるままに

33歳男子。外資系商社勤務。適当に仕事の事とか書きます。

高校野球

いよいよ夏の甲子園、第101回 全国高校野球選手権大会も準決勝、決勝と終盤になってきましたが、こないだの確か3回戦の智弁学園VS星稜高校の死闘をずっと観戦していたのですが、激闘のすえ試合終了直後に両チーム共に泣いていて思わず自分も泣いてしまった。本当に1戦1戦負ければ終わる甲子園で優勝目指して何年も努力し続ける彼らの気迫、努力、姿勢には本当に尊敬する。本当に凄いと思う。だから、全力を出し切ったみんなの涙はもうこっちまで感動して泣いてしまう。どれほどの努力と鍛錬を積んできたのだろうか、と。人生においてこれほどの努力と情熱を持って取り組めたことがあるだろうか。すると他人様とは比較できないけど夢中になって目標を追いかける日々を自分も高校時代に過ごしたことを思い出した。甲子園とは全然比較にならないけども、地元の夏の大会(ダンスですけど、)で優勝目指して夢中に練習してそれを実現したことは今でもはっきり覚えている。憧れと好きという気持ちで夢中でやっていたので、別に大変だとは全然思ってなくて、むしろめちゃ楽しかったし充実した良い時間、経験ができたなあ!

 

高校野球に戻るが、甲子園に出場する時点で、それがどれほどその後の人生にとって大きな財産になるだろうと思う。甲子園で繰り広げられる様々なドラマが励みになって、仕事で悩んでも問題が発生しても、これしきで落ち込んでいる場合ではないと、勇気をもらえるのである。令和何年になってもこの素晴らしい甲子園の文化は続いていって欲しいと強く願います。

 

おかず

AYUの歌

書店でMを見て結構売れてるんかなと思いつつ流し読みしてしまった。

そう思ったら中学時代に音楽が好きになって夢中で聞いていたのが浜崎あゆみの曲でした。相当好きでしたね、特にファーストアルバムの A Song for XX は鉄板で、白アユ黒アユで一世を風靡したセカンドアルバムLOVEppearsも相当好きで、懐かしすぎて思わずアップルミュージックで購入してしまった。。

んで、歴代のアユの曲を、それこそ15年ぶりくらいに聞いているのですが、最高に良い。僕はSEASONSくらいでアユ卒業しました、思春期で特に暗黒時代だった自分の中学生時代にどハマりしたアユの曲を聞いていると、何か当時の感情だったり風景が蘇ってきたのです。これが音楽の力なんかな、ってベタな事いってますが本当に当時のことを思い出すのです。初期のアユの曲は、なんか暗くて苦悩を感じる。それがかなり当時の中学時代とマッチしていて、何度も何度も聞いていたのを、10年いや15年ぶりくらいに思い出した。えらいもんで歌詞も覚えてるもんですね。

最近の浜崎さんは色々と言われてるようですけど、それはホンマどうでもよくて興味ないのですが、アユの歌に思春期の自分は色々と勇気づけられていたなと、今でもそんな感情を思い出すくらい印象に残っているアーティストなんだな、と思った次第。

これで反射的にダウンロードして購入した3500円からまたアユの収入になるんだなと。笑

 

これも「M」効果?戦略? だろうと思います。 うまいなー

僕みたいな人間、他にもいるんではないかな。

思い出させ作戦。

 

でも本当にアユの当時の曲が好きやから、僕はカモ(かも)でもいいですわー!

 

以上

 

 

フィリピン人との仕事

かなり久しぶりに適当にダラダラ描いてみます。

フィリピンの会社との仕事が増えてきて最近毎月のようにフィリピンのミンダナオ島っていう南方の島に行っているのですが、かれこれ通いだしてもう5年以上経つんやけど5年でその田舎町もかなり変わってきたなーと実感しています。

最初に行った時は、もうウルルン滞在記に出てくるような田舎さで、何故こんなところに日本人!的な気持ち満載で慣れるまで結構ビクビクしながら過ごしていました。

というのもミンダナオ島って、イスラム原理主義の勢力がいてフィリピン政府側と結構バチバチに戦っていて治安が懸念される地域なんです。今は和平交渉が随分と進んでいるようですが、街には拳銃を持った警備員が今でもゴロゴロいてもう見慣れてきました。やっぱりフィリピンのイメージって、まだまだ治安が悪くて危険な場所だってのはあると思いますが自分の場合、その場所との仕事が年々増えているので通わざるを得ないのです。

 

そんな街も最近は随分変わってきました。

まず街中のモールにユニクロができた。ホテルも増えた。そして交差点に信号機が設置されてきました。まあ、まだまだ田舎の地方都市って感じですけど、それでも5年くらい通っていると、徐々に発展してきているなと実感します。

 

フィリピンの人達(マニラの都市部よりも田舎の方が)は基本的に明るい人が多い印象ですが、まあ取引先のメンバーくらいしか知りませんが今ではすっかり仲間意識も芽生えてきました。いつも日本のお菓子を持っていくと喜ばれます。仕事の精度も以前より随分と良くなってきて一緒に仕事していてやりがいを感じます。でもここまでくるのには随分と苦労しました。締め切りに対する意識だったり、納期通りに製品が出荷されずに日本のお客さんから激怒されるのことも多々あり、そのたびにイライラして怒ったり遅延損害金を強要したりして、これだから東南アジアの人間は適当で困る、という気持ちに何度もなりました。

 

そんなこんだで何年も仕事していると いい意味で諦めがつくのと、同時に相手のペースで仕事をしてもらうように意識して行くようになります。こちらの要求も一方的ではなくて、ちゃんとその内容や理由も説明して100%ではなくても、できるだけ理解して貰えるように、自分の英語力や表現力も向上していかないとなと思うようになって行ったのはここ数年ですが、そうすると、何かいちいちイライラしたり焦ったりすることは減っていって結果オーライな成果もちょこちょこっと出だして、そうすると相手も言いたい事を言ってくるからお互い遠慮せずに会話で切るようになっていった感じ。

フィリピンは人口が増え続けていて、もう1億人を突破して数年後には日本の人口を抜きます。平均年齢も20代と若く日本とは環境が大きく異なります。購買力や経済成長への勢いも強くなっていることを感じます。

そんな国の人たちと一緒に仕事していると学ぶことも多くて面白いなと思います。

僕の立場は貿易のトレーダーなので彼らからすると製品を買い付けるバイヤーになるのですが、こっちも彼らに良い製品を作ってもらえないと自分の仕事が成り立たない訳で、だから一緒に仕事をしてもらっていることに感謝して一緒に成長していこうと思っています。市場があって、売り手と買い手がいて、偉そうなお客さんも時にはいますが、お互い商売なので相手に舐められないように、また諦められないように普段からやるべきこと、言うべきことはしっかり発信してやっていこうと思います。

 

以上 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人事異動

最近、会社で人事異動の内示が発表された。自分が属する営業部が大きく変わる。

まず今の上司と先輩が同時に海外転勤、そして定年後再雇用シニア社員は契約更新せず退職。よって営業部員マイナス2名が確定。新しい上司は現課長が昇格。自分は異動も昇格もなく現状維持だが、この変化により、これから確実に仕事量とノルマが増える。

早急に減員を埋めるべく新規人員を求めているが、なかなか採用に至っていない様子である。このまま新規採用が決まらずに行くとノルマだけ上乗せされる事が確実だ。

今の会社は新卒採用を行なっていないので、基本的に中途採用での人員確保となる。

転職市場は活況であると聞くが、実際にはこちらが求める時期やスペック通りの人材を見つけて採用することはなかなか難しい作業であると感じる。

結構、人が足りなくて早急に良い人材を確保したい企業は多いと思う。

自分の職場の場合、年齢構成として40代半ば〜50代が最も多く、35歳〜45歳の世代が極端に少ない。実際、自分は32歳だが、そのひとつ上は40代中盤以降が占めている。

30中盤〜40代前半の層が極めて薄い。

従って、これからの自分の仕事量としては規模感だけでいうと一回り上の世代つまり課長職相当の数値をあげて行かなくてはならない状況にある。

これは自分にとってチャンスであると言われることがあるが、何がチャンスかというと、つまり自分にとっては上が詰まっていないので昇格する機会がこれまでより早いタイミングで来るかもしれないという事を言いたいのだろうけど、実際は結構年功序列体制なので数字を上げているからといって年齢の割に若くして昇格する可能性はそれほど高くない気がしている。会社からしたら若い人間に高い数値目標を与えて実現させる事は割安の経費で利益をあげる事ができるから効率の良い稼ぎとなる。

今の45歳以降の世代は基本的にもはや転職するケースは少ないと思うので結構それなりの高い人件費を払い続けて行かねばならないので、自分のような30代前半に対しては出来るだけ割安の経費で利益貢献させたいという意図があると感じている。

一方で自分としては今の段階で少しでも上のレベル、規模感で仕事をする事によって質の高い経験と知識を蓄積できる環境であると考えれば、それなりのモチベーションにはなっていると感じるが、今後、自分が会社に提供する労働力があまりに割安であると判断できた場合、自ら環境を変えるアクションも必要であると感じる今日この頃である。

 

とりあえず、目下日々の仕事に精を出して一つ一つ経験を積み上げていきたいと思う。

 

おかず

この10年を振り返って

2018年、2ヶ月が過ぎようとしています。寒い日が続いておりますが元気に過ごされていますか。早いもので先日32歳になりました。就職してもう10年になるのかと思うとあっという間な気がしますが、これまでの10年とこれからの10年について少し書いてみたくなりました。

 

2008年 上京

初めて地元を離れて東京へ来た時のことを思い出します。これから社会人としてうまくやっていけるだろうか、寂しくなってすぐに地元に帰りたくなるのではないか、上司や先輩とうまくやっていけるどうか、どんな生活が待っているのだろうか。

見ず知らずの街での新生活。不安をかき消すように自分を鼓舞して独身寮へ向かった道中、まるで物語の主人公になったような気持ちで車窓から景色を眺めていました。

入社後は同期の誰よりも早く仕事を覚えたいという気持ちが強くて結構無理して自分を追い込んでいたように思います。

 

日常生活の中で東京タワーの夜景や高層ビル群が視界に入ると、ああ俺は東京で働いているのだなと実感したものです。高揚感も幾分あったかと思います。

しかし家族も彼女も地元にいたので、寂しい気持ちは離れず、仕事が充実しているとみなしてそれを誤魔化しながら過ごしていたように思います。

当時の上司は少し変わっている部分もありましたが、仕事に非常に熱心で、指導も大変厳しく、その勢いについていけずに逃げ出したくなる気持ちは多々ありました。携帯の着信画面にその人の名前が表示されると心がキュッと締め付けられる感じ。適当に受け答えすると直ぐにバレるので頭フル回転で応答する。自動的にそんなモードに入るのです。相当恐れていたんですね。今でもたまに会いますが、相変わらず熱いおっさんです。あれから出世したようで、さぞ部下の方は大変だろうなとお察します。笑

 

2012年 海外へ転職

 

そんな熱く厳しい上司との丸4年間はあっという間であり、貴重な濃い時間でした。そのうちに海外で働きたいという思いが強くなり、シンガポールでその機会を得ることになりました。日本企業の海外現法での現地採用枠でした。多くの人から、「現地採用」は大変厳しい環境だからと反対されました。上司だけはいっさい反対せずにむしろ応援してくれました。今思えば、その時に周囲の声にもっと耳を傾けておけば判断も変わったのかなと思いますが、当時の自分にはいっさい迷いがなく、海外行きを決めました。

もちろん不安もありましたがそれ以上にワクワクしたからです。

 

ところが、シンガポールでは苦悩の日々でした。意気揚々と日本を飛び出しましたが、実際のところ環境の変化に自分が追いつかず、気持ちの切り替えができなかったのです。この選択は本当に正しかったのか、会社をやめるべきではなかったのではないのか、次第にそんな風なネガティブな気持ちが自分を支配するようになって行きました。

自分が望み選んだ道なのに、不安と後悔は募るばかり、そして自信を失っていく日々。

今更になって後戻りはできない、弱音を吐くわけにもいかない、相談できる人も周りにはおらず、近くの日本人はみんな輝いて見えたので余計に閉じこもってしまったのです。ついに会社へ行くことができなくなる訳です。人生最大の挫折でした。

 

そんな中でも、あの時あの場所でしか出会えない人とのご縁もありました。

親身に話を聞いてくれて、勇気づけてくれて、助けてくれた人達には感謝しかありません。

 

結局、約1年で帰国することになりました。

 

2013年 日本へ帰国 再出発

帰国して選んだのは地元大阪ではなく東京でした。

挫折からの再出発です。

とにかく失った自信や活力を取り戻さなくてはと、自分を奮い立たせて再起への挑戦です。ここで自分を持ち上げて行くことができなければ、一生キャリアもクソもないと。

自分は使い物にならないという屈辱は二度と味わいたくない。一度逃げた自分との戦いです。そんな風に帰国したのでした。

幸い、海外にいたので英語力は鍛えられました。弱い自分も理解しました。

挫折も、悔しさも情けなさも全部受け入れて、もう失うものはない、と。

 

不思議なもので、そうすると仕事がみるみる楽しくなるわけです。結果も伴ってくる。

シンガポールで燻っていたのを晴らすように、がむしゃらに働きました。

中途半端にプライドとか自信があるとそれが邪魔して新しい環境で力が発揮できない場合もあるのだと思いました。

墜落寸前の超低空飛行状態でしたが、その後は何とか上昇気流に乗っている感覚で過ごすことができております。きっと、この先も色々な出来事が待っているだろうと思います。

 

2018年 今思うこと

 

結局、全てのことは自分の積み上げになるのだなと。

人生は選択の連続ですが、「選択」ができる時代に生まれてきたことは大変に恵まれていることに感謝しながら、これからもワクワクすることに素直に生きていきたいと思います。

 

振り返ってみると、ここ10年は早いようで色々な事があったなあと再認識しました。

これからの10年も、辛く厳しい挫折が待っているのかもしれません。

何が起こるのかわかりませんが、「希望」を持ちながら目の前のことに尽力して生きたいと思います。

 

おかず 

働き方改革について

早いもので2017年もあと残すところ僅かとなりましたが今年はどんな年でしたでしょうか。毎年あっという間に過ぎ去っていく感じで今年は何をしただろうかと思い返すと日々の働き方に関して自分なりに変化があったかと思います。

 

今年は色んなところで「働き方改革」をいうワードを耳にした方が多いと思います。

一体何が改革なんだとピンとこない感じでしたが、ちょっと時間の使い方、意識づけを変えてみたら予想以上にパフォーマンスが上がった事について書きたいと思います。

 

ありきたりですが、それは「朝早く起きる」事でした。

 

都内でも有数の激混み沿線に住んでいるのですが、まず朝ラッシュ時の満員電車はこりごりでした。みんな表情が暗くて身動きが取れなくて周りに気を配る余裕もその気もなく、ただただ目的地の駅まで耐えているだけの時間。。。無事下車するとホッと息を吹き返して歩き出す。。。その時点で体力と気力は就業開始前に既に消耗しているものです。貴重な気力が奪われるのは大変もったいない事です。ラッシュ時の混雑が解消する事は現状ほぼ不可能なので、満員電車にはもう乗るまいと決めました。

 

始発電車に乗って、とまではいかないですが、朝早く家を出てラッシュ前の電車に乗って(それでも絶対座れません)誰よりも早く会社に出ると、今まで知らなかった世界がそこにありました。

 

それは、圧倒的な自由時間です。

 

電話はかかってきません。上司やめんどくさい先輩もまだいない。

静まり返ったオフィスには一人だけ。次第に朝が早い常連さんがポツポツと。

この自由で静かな時間の使い方で正直その日の大半の仕事が片付きます。

まず皆が出社する前の段階で依頼事項を全部投げる。他者からの回答待ち状態にします。

それと前日の夕方〜夜にかけて受信しているメールに対する返答を出す。

簡単な内容でも出来るだけボールを相手に投げ返します。回答に困る時でもとにかく取り急ぎ返信を出します。この行為は自分への備忘録にもなります。

 

皆が出社する定時の頃には既に一通りボールを投げ返した状態になっており、自由時間で思い描いたその日のアクションを淡々を実行していくのみです。始業時間後はどうしても他人様の時間軸に合わせる必要が出てきますので思い通りに行かないこともありますがそれも想定内である事を自覚できます。営業ですので日中は外出が多いので時間はあっという間に過ぎて行きます。商談後にメールを確認すると朝投げたボールが返ってきています。至急案件は即座に反応しますが、緊急を要しない内容については翌朝に回します。夕方以降はその日中に投げておくべき案件に限りボール投げてさっさと帰路に着きます。あるいはランニングしてから帰ります。

この流れを続けていくと、次第に仕事に追われるのではなく仕事を追っかけていく感じになってきます。そうすると結構仕事が楽しくなっていくと同時にパフォーマンスも上がっていく感じがします。何より精神的に健康なのが一番いいと思います。

 

朝型の習慣がついてくると、こんな自由な時間を活かさずにはいられない感じになってきます。早起きは辛いですが66日くらい継続するとそれは習慣になると何かの本で読みました。確かに2ヶ月くらい早朝出社続けていると朝が苦ではなくなり、むしろ朝ラッシュ時に電車に乗る方が相当な苦悩である事がわかります。

 

今年、この変化は結構な変化かなと思いつつ、一つの「働き方改革」例になるかなと思いました。

 

さて今年もあと少し、最終の追い込み頑張りましょう!!

 

それでは

 

おかず

年俸制の良し悪しについて

年棒と聞くとプロスポーツ選手の給与体系を想像する方も多いと思いますが、私のような普通のサラリーマンでも年棒制を採っている会社が存在します。

外資系企業においてこの年棒制を採用している場合が多いように思います。

向こう1年間の給与額が確定した形で提示され、それを12で割った金額が1ヶ月のお給料、月俸となります。20代の頃は日系企業に勤務している期間が長かったため、一概にどちらが良かったのか断定するのは難しいですが、実経験をもとに年棒制の良し悪しについて思う点を書きたいと思います。

 

良かったと思うこと:より効率を求めた働き方を意識する

前述の通り年棒制では予めお給料の額面が確定しておりますので、私の場合それに加えて時間外手当や営業手当、出張手当等の収入のプラスαとなる要素が排除されております。よって、1日に何時間働こうが(1日7時間が規定)収入の増減に影響しません。

貰えるお給料が一緒ならば、当然長時間労働によるメリットは一つもありません。もちろんトラブルや踏ん張り時、ここぞという局面において遅くまで働くことはありますが、総じて夕方にはパソコンを閉じる様に意識していく様になりました。しかし会社から求められる業績貢献への責任は年々増える一方です。でも毎日遅くまで働くのは絶対に嫌だ。であれば効率よく働くしかありません。その動機付けとして、年棒制なので長時間労働は収入面でなんのメリットにもならないという事実が効率化への意識を高めている様に思います。まだまだ試行錯誤しながらの日々ですが、予定通りの時間にその日の業務を終えて帰路についた日はとても気持ちが良いものです。

 

残念に思うこと:福利厚生が充実していない

どうしても制度の異なる企業に従事する経験があることから、比較してしまう事もあります。その一つが福利厚生です。現在勤務している企業ではこの福利厚生なるものは、ほとんどありません。先程と話がかぶりますが年棒制では「○○手当て」なるものは基本的にありません。なので例えば住居費用に対する手当てや社宅・寮などはありません。生活コストは先の月俸から全て賄う必要があります。

かつて私は独身寮で生活しておりその時は本当に気持ち程度の寮費で住居費用は無しに等しい状況でした。また社宅や家賃補助が出ている友人の話を聞くと羨ましい気持ちになる事も多いです。この住居費用に対する手当て、金額に換算すると立派な収入と捉える事が出来ます。月5万円の家賃補助が出るのならば、年間60万円、これはやはり大きいと思います。年棒制に身を置いている立場からすれば、随分と面倒見がいいなあと思います。

 

良い悪いは考え方による

それぞれ与えられた環境においての捉え方・考え方次第ですが、いずれにせよ「自律して働く」事が大切な事かなあと思います。

 

おかず